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東京地方裁判所 昭和48年(刑わ)5447号 判決

主文

被告人Nを懲役八月に処する。

未決勾留日数中一五〇日を右刑に算入する。

この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

被告人I、同Y、同O、同Tはいずれも無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人Nは、いわゆる中核派に所属するものであるが、同派に所属する者ら(以下中核派の者らという。)約一〇名とともに、昭和四八年一〇月二〇日午前四時一〇分ころから同五時一五分ころまでの間、東京都豊島区上池袋一丁目二〇番一四号早川敏夫方(以下早川方という。)において、かねて同派と対立抗争関係にあったいわゆる革マル派に所属する者ら(以下革マル派の者らという。)約二〇名によって同日午前四時一〇分ころから同四時三〇分過ぎころまでの間になされた右早川方の被告人ら中核派の者らに対する襲撃およびその後も引き続きなお予想された右革マル派の者らによる再度の襲撃に対し、これら革マル派の者らの身体に対し共同して危害を加える目的で、鉄パイプ数本および多数の牛乳空びん(うち三本)、コーラ空びん(うち六本)、コンクリート塊(うち一個)を準備して集合したものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人Nを含む早川方にいた中核派の者らは、いずれも革マル派の者らの急迫不正の襲撃に対し、自己の生命、身体を防衛する目的でこれに必要な範囲内の兇器を準備していたにすぎず、右襲撃の機会を利用して、革マル派の者らを迎撃し、あるいは反撃に出るなどして、同人らに対し共同して危害を加える目的は有していなかったものであるから、同被告人については兇器準備集合罪は成立しない旨主張する。

そこで検討するのに、前掲各証拠を総合すれば、中核派と革マル派とは、かねてから相対立し、互いに相手方組織の壊滅を標榜して実力抗争を続けてきたものであるところ、昭和四八年一〇月二〇日午前四時ころから、同四時三〇分過ぎころまでの間、中核派の者らが多数居住する東京都豊島区上池袋周辺を中心として前記早川方を含む同派のアジト数ヶ所が革マル派の者らにより相次いで襲撃されるに至ったこと、前記早川方は、中核派のアジトとしてかねて同派の者らが常時宿泊しており、革マル派の襲撃に備えて、玄関に堅固なバリケードを築き、玄関上の二階ベランダに多数のコンクリート塊およびコーラ空びんを並べ、その他室内にも鉄パイプ、コンクリート塊、コーラ空びん、牛乳空びんを準備し、さらに武器の配置などの戦闘体制の整備を怠らないよう戒めた注意書を壁に貼り付けるなどの用意がなされていたが、右鉄パイプは通常いわゆる内ゲバの際に相手方殺傷の具として用いられるもの、右各空びんは比較的重量のある硬い投擲用兇器として優に人を傷つけ得るもの、さらにコンクリート塊は、その形状、重量、材質に照らし(当裁判所に押収してある前掲コンクリート塊一個は、縦約二四センチメートル、横約一七センチメートル、厚さ約五センチメートル、重さ約三・八キログラムであり、その余の物もほぼ同様の形状、重量を有するものと認められる。)、これを投擲すれば相当の殺傷能力を有するもので、いずれも危険な兇器であること、被告人Nは、右襲撃の前夜より中核派の者ら約一〇名とともに右早川方に宿泊していたが、仲間の通報により、右襲撃をその直前に察知し、革マル派の者ら約二〇名の集団が、同二〇日午前四時一〇分ころ、右早川方付近路上に至り、各自ヘルメットをかぶり、大型ハンマー一、二本、バール数本、まさかり一、二本、および多数の鉄パイプ等の兇器を所持し、サーチライト二個で照射しつつ、「殺せ、殺せ。」などと叫びながら同人方玄関付近に近付こうとするや、直ちにこれに立ち向うべく、同家屋内各所に配置につき、その際同被告人ら三、四名の者は、二階ベランダを受け持ち、「何をしているんだ。早く攻めて来い。いくじがないのか。」などと革マル派側を挑発するとともに、「手前に引きつけてから投げろ。」などと話し合いながら、ベランダ下の玄関前路上に近付いた革マル派の者らを目がけて、前記のとおり予め準備しておいたコンクリート塊少くとも二個および多数のコーラ空びんを相次いで投擲したこと、他方革マル派の者らは、「全員を叩き殺せ。」などと叫びながら右玄関付近に殺到し、うち約一〇名が、玄関の扉を前記所携の兇器で突く、叩くなどしたが、右扉は施錠され、ドアチエーン四個が掛けられていたうえ、侵入阻止のため内側に接着して金属製ロッカー等がバリケード用に置かれていたため、玄関を突破して屋内に侵入することはできず、同日午前四時三〇分過ぎころ、同派の者らは一旦同所を引揚げるに至ったが、その際同派の者が路上に倒れるや、ベランダ上の中核派の者から、「お前達仲間を見捨てて逃げるな。」などと罵声を浴びせ、革マル派の者らが引揚げるや、直ちに玄関前路上より右の者らが放置した大型ハンマー一本、バール二本、鉄パイプ数本を早川方に搬入したが、右は計画的とも窺われる前記襲撃の状況から予想される再度の来襲に使用されることを懸念しての処置と推認されること、同被告人らは、その後同日午前五時一五分ころまでの間、再度の来襲に備え外部に対する監視を続けながら引き続き早川方にとどまり、その結果、そのころ警察官によって兇器準備集合罪の容疑により逮捕されるなどするに至ったが、その際、早川方内各所から、鉄パイプ一八本、牛乳空びん八六本、コーラ空びん三九本、コンクリート塊一八個などが押収されたことがそれぞれ認められる。

ところで弁護人主張のとおり、単に相手方の襲撃から自己の生命、身体等を正当に防衛するのみの目的にとどまる場合には、兇器準備集合罪にいう共同加害の目的が存するということはできないが、相手方が襲撃を加えてきた機会を利用して、これを迎撃ないし反撃し、積極的に相手方の生命、身体等に危害を加える目的をもって兇器を準備して集合する場合は、もとより同罪にいう共同加害の目的が存在するものとみて妨げない。この見地に立って以上認定の諸事実を総合勘案してみると、判示の日時、場所における被告人Nら中核派の者らの判示各兇器を準備して集合した所為は、その動機、集合の態様、準備した兇器の種類、形状、数量と準備の具体的状況、革マル派の襲撃に際してとった積極的、攻撃的な言動、右襲撃後の措置等の諸点に照らして、到底単なる正当防衛目的に出たものと認めることはできず、前判示のとおり、革マル派の者らの襲撃およびこれが終了後もなお予想された再度の襲撃に対し、積極的にこれを迎撃ないし反撃し、同人らの身体に共同して危害を加える目的で、兇器を準備して集合したものと認めるのが相当である。

よって弁護人の主張は、理由がないから、採用できない。(ちなみに、前掲各証拠によれば、本件犯行直後、早川方屋内から発見押収された物の中には、前認定にかかる鉄パイプ一八本、牛乳空びん八六本、コーラ空びん三九本、コンクリート塊一八個のほか、竹竿三六本、大型ハンマー一本、バール二本、野球バット二本、木刀二本、竹刀一本、キリ一四本等が存在するが、そのうち竹竿の大多数は、その形状、保管状況や旗が巻きつけられているものもあること等からすれば、集会やデモ行進等に使用するために保管されていたものと認められる余地も大きく、また大型ハンマー一本、バール二本および鉄パイプのうち数本は、前認定のとおり革マル派の者らが路上に放置して行ったものを急拠搬入したもの、さらに竹竿のうち数本、鉄パイプのうち数本、野球バット、木刀、竹刀等は後記宮沢荘からの退避者らが自衛のため所持して来てそのまま持ち込んだものともみられ、その他キリ一四本については整理箱に収納されていたものにすぎず、以上のうち、判示の兇器として記載した以外の物については、これを直ちに本件兇器準備集合罪の組成物と認めるに足りるだけの証拠は不十分である。なお革マル派の者らが引揚げた後に早川方に入った宮沢荘からの退避者や被告人Tらについては、後に説明するとおりの経緯に徴し、被告人Nらとともに本件兇器準備集合罪の集合体に加わったものとするにはなお証明不十分というべきである。)

(法令の適用)

被告人Nの判示所為は、刑法二〇八条の二第一項、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するところ、法秩序を無視したひとりよがりの内ゲバ抗争は到底許し難いが、本件は積極的な攻撃を企図したものではなく、同被告人らが平穏に寝起きする家屋内で革マル派側の来襲の際に迎撃ないし反撃するために用いることを期して判示各兇器を準備したものであること、その他右兇器の種類、形状、数量等諸般の情状を考慮して、所定刑中懲役刑を選択し、その刑期の範囲内で同被告人を懲役八月に処し、刑法二一条を適用して未決勾留日数中一五〇日を右刑に算入し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項但書により、同被告人に負担させないこととする。

(無罪の理由)

第一、被告人I、同Y、同Oについて

一、公訴事実

右被告人らに対する各公訴事実の要旨は、

右被告人らは、いずれも、ほか多数の者とともに、対立抗争中の学生らに対し、共同して危害を加える目的をもって、昭和四八年一〇月二〇日午前四時一五分ころから同四時三五分ころまでの間、東京都豊島区上池袋二丁目四二番一二号宮沢荘付近から、同都同区上池袋二丁目三五番二四号付近路上にいたるまでの間において、多数の鉄パイプ、野球用バット、竹竿等を所持して集合移動し、もってそれぞれ他人の身体に対し共同して害を加える目的をもって兇器を準備して集合したものである

というにある。

二、当裁判所の認定した事実

≪証拠省略≫を総合すれば、前記のとおりかねて中核派の者らと対立抗争関係にあった革マル派の者らにより、昭和四八年一〇月二〇日午前四時ころから同四時三〇分過ぎころまでの間、同都豊島区上池袋周辺を中心として中核派アジト数ヶ所が襲われるに至ったが、右襲撃の一環として、同日午前四時過ぎころ革マル派の者ら約四〇名が、右中核派アジトの一つである同区上池袋二丁目四二番一二号宮沢荘二階七号室付近路上に、各自ヘルメットをかぶり、大型ハンマー、まさかり、鉄パイプ等の兇器を所持して集合し、うち約一〇名は、同室入口前に殺到して、所携の右ハンマー、まさかり等で入口扉およびその周辺の壁、窓を破壊し始め、他の者は、隣接するアパートの階段からサーチライトで同室付近を照射し、あるいは付近路上にあって同荘を包囲する態勢をとっていたこと、被告人I、同Y、同Oはいずれも中核派に所属するものであり、同月一九日夜より、Mら同派の者らとともに計約一〇名で同室に宿泊して就寝中であったが、右扉などを破壊する物音で目を覚まし右襲撃に気づくや、直ちに室内の机や本棚等で内側よりバリケードを作り、右扉の破壊を阻止しようとしたものの、同扉およびその周辺の壁、窓は数分間で破壊されるに至り、革マル派の者らは、防毒マスクようのものを着用し破壊した同入口の隙間から、点火した発煙性のワイパースーパージェット数個と刺激性液体を入れた容器を同室内に投げ込むとともに、「今日こそは殺してやる。」などと怒号しながら、所携の前記兇器を用いてバリケードの破壊にかかり、また右兇器を振りかざし、あるいは投石をしながら室内に侵入しようとし、さらに室外にいた同派の者は、右薬品や液体による煙と悪臭のため被告人Yらが入口の反対側窓をあけるや、右窓を通じ室内に向け消火器を発射するなどしたこと、そのころ同室内には、旗竿用竹竿一〇数本、鉄パイプ数本、野球バット、木刀各二、三本等があり、前記各被告人ら中核派の者らは右の侵入を阻止するためにこれらを手にして振り回し、あるいは同室内の食器類等を手あたりしだいに投げつけ、右バリケードが崩されかけては作り直すなど懸命の防戦につとめたが、この間革マル派の攻撃により被告人Iは、投石で左眼上を負傷し、鉄パイプで歯を折られ、Mも鉄パイプで右手拇指関節にひびを入れられるに至ったこと、革マル派側は、同日午前四時三〇分ころに至り、同室内への侵入を果たせないまま俄かに同所を引揚げたが、そのころ同室入口扉およびその周辺の壁、窓等は、いずれも甚だしく破壊されており、再度同規模の襲撃がある場合には、もはや室内への侵入を阻止できず、室内の者らの生命、身体に対して危害が加えられることが避けられない状況にあったうえ、従前の両派の激しい対立抗争関係および右のような計画的と窺われる襲撃状況に照らせば、再度の襲撃が短時間内に接着して行われることも十分予想できたため、前記各被告人以下同室内の者らは、革マル派の引揚直後、同室内にとどまることの危険を感じて、やむなく避難のため、同室を出ることとし、その際途中革マル派の者らと遭遇する場合を慮って、同室内などに散乱していた竹竿、鉄パイプ、野球バット、木刀などをほぼ全員が各自手にし、この時被告人Iは長さ約六六センチメートルの野球バット、同Yは長さ約一三五センチメートルの竹竿、同Oは長さ約六六センチメートルの鉄パイプを各一本所持したこと、このようにして同室を出た右被告人らは、先ず右宮沢荘北方に向って走り出したが、数十メートル進行した地点で、革マル派の者らしき四、五〇名の集団を発見するや、同集団との接触を避けて直ちに反転し、再び同荘前を経て同荘南方明治通り方向に向かって進行する途中、同日午前四時三五分ころ、同区上池袋二丁目三五番二四号先路上において、折から捜査警備中の警察官四名に遭遇し、被告人I、同Y、同Oは右警察官らにより兇器準備集合罪の現行犯としてその場で逮捕されるに至ったこと、その後右集団は、これらの被逮捕者を放置したまま南進し、やがて同日午前四時四〇分ころ前記早川方に到着して勝手口より屋内に入って一息ついたところ、同午前五時ころ、早川方は、捜査警備中の警察官約二〇名に包囲され、同午前五時一五分ころ、右集団の者らを含む早川方にいた約二三名の者全員が戸外に出され逮捕されるなどしたことがそれぞれ認められる。

三、当裁判所の判断

既に述べたとおり、兇器準備集合罪にいう共同加害の目的とは、相手方が襲撃してきた際に、その機会を利用してこれを迎撃し相手方の生命、身体等に危害を加えるという目的であっても足りるが、単に相手方の襲撃から自己の生命、身体等を正当に防衛するのに必要な限度で相手方に危害を加えようとする目的にとどまる限りでは、未だ同条の共同加害の目的というには足りないものと解すべきであり、防衛目的にとどまるか、迎撃目的が存するかは、各具体的場合について、兇器を準備して集合した動機、集合の態様、準備された兇器の種類、形状、数量、訴因の時間に接着した段階に現実の襲撃があった場合には相手方との攻防の内容、訴因の時間内で更に予想された襲撃の規模、態様およびこれが発生の蓋然性の程度ならびにこれに対する兇器使用以外の防衛手段選択の可能性の有無、程度、加害目的の社会的相当性等の客観的事情等を総合して判断するほかはない。そこで以上の見地に立って前認定の諸事実に照らし本件訴因の各日時、場所における共同加害目的の存否について検討することとする。

ところで、本件訴因は、昭和四八年一〇月二〇日午前四時一五分ころから同四時三五分ころまでの間における、宮沢荘付近から前記各被告人らが逮捕された上池袋二丁目三五番二四号付近路上に至る同被告人ら計約一〇名の集合移動の事態を兇器準備集合罪に当るとするものである。

前認定の諸事実によれば、まず同日午前四時一五分ころから同四時三〇分ころまでの間は、宮沢荘二階七号室において革マル派の約四〇名が右各被告人ら中核派の者約一〇名を襲撃している最中から、革マル派側が同所を引揚げるまでの事態に関するものであるが、革マル派の者らによる襲撃は、同日早暁の午前四時過ぎころから開始された多人数による兇悪な兇器を用いての極めて周到な計画に基づく大規模な不意討ちの攻撃であり、たまたま自派のアジトである宮沢荘の右室に泊り込んでいて寝込みを襲われた右被告人ら中核派の者は、室内にあり合わせた一〇数本の旗竿用の竹竿や、数本の鉄パイプ、各二、三本の野球バット、木刀等を手当り次第にとり持ち(なおこれらの物が革マル派の者らの襲撃を予期し、これに備えて右室内に準備されていたものであり、かつそのことを同所に居合わせた右被告人らが認識していたと認めるに足りる適確な証拠は存しない。)、あるいは机、本棚等でバリケードを作り、食器類等を投げつけるなど懸命の防戦につとめた挙句、辛うじて革マル派側の室内侵入をくい止めることを得たもので、以上の経緯を通じてみれば、右被告人らの宮沢荘における集合ならびに右竹竿、鉄パイプ、木刀等の所持は、革マル派側による右襲撃を予期してこれを迎撃ないし反撃するためのものであったと認めることはできず、右襲撃に対する防戦もまさに自己の生命、身体を防衛するため必要やむを得ない限度の所為にとどまるものというべきである。

つぎに本件訴因のうち前同日午前四時三〇分ころから同四時三五分ころまでの間は、右各被告人ら中核派の者約一〇名が宮沢荘二階七号室を出てから右各被告人ら三名が逮捕されるまでの事態に関するものであるが、前認定のとおり、右中核派の者ら約一〇名が集団をなして宮沢荘の右室を出たのは、革マル派側による激しい襲撃のため同室が甚だしく損壊され、しかも右襲撃の態様に照らして再度の同種襲撃がなされることも十分予想された状況のもとで、同室にとどまれば、自己の生命、身体の安全を期し難かったため、他の安全な場所を求めて退避しようとしたものであり、さらに同室を出るに際して各自がそれぞれその場にあり合わせた前認定のような形状の竹竿、鉄パイプ、野球バットや木刀等―これらはいずれも用法上の兇器に該当するものと認められる―を携えて出たのは、退避の途中に予想された革マル派との遭遇の機会に、右宮沢荘襲撃の規模、態様から推測される同様の人数、装備等をもってする強力な攻撃に対し、自己の生命、身体の安全を確保する自衛のため必要やむを得ない限度の抵抗をなす目的に出たものであり、右各被告人ら中核派の者に革マル派側に対する積極的な反撃意図がなくひたすら退避を目ざしていたものであることは、路上を集合移動する途中、前方に革マル派らしき集団を認めるや、これとの接触を避けて直ちに反転したことや、警察官に遭遇し右各被告人三名が逮捕された際にも敢えて奪還等の挙に出ることもなく前記早川方へ直行したことに徴しても明らかであり、なおまた右早川方に赴いたことをもって直ちに同所にいた中核派の者らと合流して革マル派の襲撃を迎えるべく備えたと認めるに足りる証拠も何ら存在しない。

以上のとおりであって、右各被告人らが他の中核派の者らとともに、本件の具体的な状況のもとで、革マル派の者らによる襲撃に際し宮沢荘において前記竹竿、鉄パイプ、野球バット、木刀等を所持したことや、右宮沢荘から退避するに当りこれらの物を所持して集合移動したことは、結局自己の生命、身体の安全を確保する防衛目的に出たものであり、しかも右は両派間における一連の具体的な喧嘩闘争の過程でたまたま右被告人らが守勢をとったにすぎないという如き場合には当らず、かつ当時の事態の緊急性に照らせば、右各被告人らが採った手段や目的について社会的に相当性を欠くものがあるともいい難い。結局右各被告人らの本件訴因の日時、場所における兇器を準備しての集合移動について、兇器準備集合罪にいう共同加害目的があったものと認めることはできず、被告人I、同Y、同Oの本件各公訴事実については、いずれも犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法三三六条により、同被告人らに対し、無罪の言渡しをする。

第二、被告人Tについて

一、公訴事実

右被告人に対する公訴事実の要旨は、

被告人は、ほか多数の者とともに、対立抗争中の学生らに対し、共同して危害を加える目的で、昭和四八年一〇月二〇日午前四時一〇分ころから同五時一五分ころまでの間、前記早川方において、多数の鉄パイプ、竹槍、コンクリート塊、空びん等を準備して集合し、もって他人の身体に対し共同して害を加える目的をもって兇器を準備して集合したものである

というにある。

二、当裁判所の判断

既に述べたとおり、被告人Nに対する有罪の理由中(証拠の標目)に列挙した各証拠によれば、同理由中(弁護人の主張に対する判断)の中で認定したとおりの諸事実が認められるほか、これに被告人Tの当公判廷における供述を総合すれば、同被告人もまた中核派に所属していたものであって、前記一〇月二〇日午前五時一五分ころ前記早川方において被告人Nらとともに兇器準備集合罪の容疑により現行犯逮捕されたものであることが認められる。

ところで検察官は、被告人Tは右早川方に同月一九日夜から泊り込んでいて、被告人Nらと行動をともにしたものであって、兇器準備集合罪が成立することが明らかである旨を、また弁護人は、同被告人は革マル派の者らによる前記早川方襲撃後の同月二〇日午前五時ころたまたま同所に訪れたにすぎないものであって、到底右罪責を問われるいわれはない旨を、それぞれ主張する。

ところで、本件全証拠中検察官主張のように、同被告人が同月一九日夜から右早川方に泊り込んでいたことを窺わせる唯一の証拠は、Mの検察官に対する各供述調書謄本(以下M調書という。)のみであるので、以下同調書の信憑性について吟味を加える。M調書は昭和四八年一一月六日付、同月八日付、同月九日付の三通で、その要旨は、同人は中核派に所属するもので、前記早川方には革マル派襲撃の三日前の同年一〇月一七日から泊り込んでおり、右襲撃を受けた当時は終始二階六畳間に籠ったままでその動静を聞いており、やがて警察官に包囲されたが、被告人Tは同Nらとともに右襲撃の前夜一九日夜から同所に泊り込んでいたというものである。しかしながら右調書の内容は、襲撃を受けた当事者である被告人Nの当公判廷における供述や、右早川方の隣または向い側の住人で右襲撃の状況を警戒心をもって注意深く観察していた前掲A、Bの検察官に対する各供述調書の記載が、前認定のとおり緊迫した襲撃当時の模様を極めて生々しく具体的に述べているのに対比すると、両派の激しい言葉の応酬内容についても全く触れておらず、自らが籠っていたという二階六畳間に接するベランダ上から中核派の仲間がコンクリート塊、コーラ空びんを投擲した事実も分らないというなど、甚だしく一般的、抽象的で現実性がないばかりか、前認定のとおり約二〇分間にもわたる右革マル派の襲撃に際して一人何らなすところもなく終始室内にあって布団の上に座り続けていたというのは極めて不自然であり、また三日前から早川方に泊り込んでいたといいながら、同所には階下に竹竿一〇本位、二階六畳間に竹竿、鉄パイプ各二、三本、ベランダに箱に入った空びん多数があったというのみで、前認定のベランダ等にあった多数の大きなコンクリート塊について何ら触れるところがないのも不可解であり、その他襲撃を知った際の経緯や、襲撃終了後逮捕までの間に早川方に来た者の有無についても、一一月六日付調書と同月九日付調書の間には顕著な差異がある等の諸点に照らして、その信憑性には強い疑問を抱かざるを得ない。

これに対して右Mが当公判廷において証人として述べるところによると、同人は同月一九日夜から前記宮沢荘に泊り込んでいたが、翌二〇日早暁前認定の如き革マル派の襲撃をうけ、同所に居合わせた中核派の仲間とともに早川方へ避難し、その際被告人Nらとともに警察官に逮捕されたというのであるが、その内容は前後一貫していて無理がなく極めて詳細かつ具体的で、自らも木刀を振るって右襲撃を防ぎ、また本棚でバリケードを築いていた際革マル派の者に鉄パイプで殴られ右手拇指関節にひびが入り、逮捕後医師のレントゲン診断を受けたと述べる等現実味もあり、右宮沢荘襲撃ならびにその後の経緯に関し、さきに被告人I、同Y、同Oに対する無罪判断の項において認定したところともほぼ矛盾なく一致しており、全般にわたり十分信用できるものと認められる。

結局M調書の信憑性は乏しく、他に検察官主張のように、被告人Tが一九日夜から早川方に泊り込み、被告人Nらと行動をともにしたことを裏づけるべき証拠は見当らないものというべきところ、他方被告人Tは当公判廷において、同被告人は本件当日革マル派襲撃の直後ころ中核派が予定していた翌二一日の一〇・二一国際反戦デーの集会、デモ行進のための連絡事項を伝達する目的で早川方を訪れたものである旨供述しているが、右供述も一概に不合理とはいえず、これを単なる弁解として直ちに排斥することもできない(なお検察官は、右訪問のころには早川方は警察官の監視下にあり、同被告人が同家屋内に入ることは事実上不可能であった旨主張するが、前掲各証拠によれば、革マル派による同所襲撃後宮沢荘からの退避者等が到着するまでの間は警察官の監視はなく、またその後暫時の間は一名の警察官が約一〇メートル離れた駐車場付近で早川方からの逃走防止のため警戒していたにすぎず、これに周辺の道路状況等を勘案すれば、同被告人が同家屋内に入ることは十分可能であったということができる。)。そして同被告人が早川方に入った以後現行犯逮捕されるまでの間における同被告人の言動等については、これを確知すべき証拠はなく、したがって同被告人が、被告人Nに対する有罪判決理由の項で述べたような早川方における兇器準備の状況を認識し、右被告人らとともに革マル派の者らの再度の襲撃に備えて同人方に敢えてそのままとどまったものと断ずるについてもなお証明が不十分であるといわざるを得ない。

以上のとおりで結局被告人Tに対する本件公訴事実については、犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法三三六条により、同被告人に対し、無罪の言渡しをする。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 柳瀬隆次 裁判官 北島佐一郎 四宮章夫)

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